この記事では、DVから逃げた私が支援センターに連絡し、施設に入るまでのことをつづっています。
正直、施設に入るまでの記憶が曖昧な部分も多いけど、あの時の不安や迷い、子どもを守りたいという気持ちは今でもはっきり覚えています(関連記事:ホテルでの数日間)。
どこかで今不安の中にいる人が、少しでも安心できるようにーーそんな気持ちで書きました。
支援センターに電話をかけた日の気持ち
もう限界だった。壊れてしまいそうだった。
子どもの心も体も限界だったと思う。
子どもを抱きしめて「大丈夫」って言っても何も大丈夫じゃなかった。
誰かに助けてほしかった、でも誰にも言えなかった、誰も信じられなかった。
もう子どもとどこか遠くに逃げてしまいたい、でもどうやって?現実的にできないと思っていました。
だけど、このままじゃ子どもも自分も壊れると思った。
電話のコール音を聞いてる間、心臓がバクバクしていました。
出てほしいけど、出てほしくない、そんな気持ち。

支援センターの対応と流れ
電話すると「すぐ来てください」と言われた。
でも言われること、正直わかっていました。
どんな人だろう、子どもと引き離されたらどうしようと、悪い想像ばかりしていて、向かう途中すごく不安でした。
もう外は暗くなりかけていて、タクシーで向かったのを覚えています。
支援センターに着いたときにはもう閉まっている時間で、明かりが少なくて薄暗かったと思います。
そんな中、職員の方2人が迎えてくれて、すごく優しく話を聞いてくれました。
私は「大丈夫です」と何度も言った。ほんとは全然大丈夫じゃなかったのに。
助けて欲しいのに、何を伝えたいのかわからなかった。
信じることができなくて、心を開くのに時間がかかりました。
気づけば時間が過ぎていた
支援センターを出たあと、どこに行ったのか、どうやって過ごしたのか、覚えていません。
本当はその時のこともちゃんと書けたらいいんだけど、今はまだ書けそうにないので、無理に書くことはしません。ごめんなさい。
それでも、あの頃の自分のように苦しんでるいる人に届けばいいなと思って、書いています。
施設に行くことが決まった日
最初の支援センターの方が、手続きや施設に行くときもついてきてくれました。
施設に行くと決まってから、私は不安で不安でたまらなかった。
どこに行くのかは教えてもらえなかったので、何も知ることもできず、生まれ育った地元を離れる不安もありました。
そしていちばん嫌だったのが、子どもの環境を変えてしまうこと。それが一番苦しかったです。
でもきっと、言葉にできないだけで、子どもの方が不安で怖かったと思います。
考え出すと、覚悟が決まりませんでした。
決められていて良かったのかもしれません。
じゃないと、決断しきれなかったかもしれないから。
施設に向かう日、少しの荷物もあったので、タクシーで向かいました。
距離もあったけど、お金は後で、保護費から出ました。
逃げた後の彼からの連絡
ホテルにいる時から、ずっと連絡は続いていました。電話もLINEも。
怖くて出られなかった。携帯が鳴るのが怖かった。
優しい言葉もたくさんあって、心が揺れそうになったこともありました。
でも、怖い言葉が並んでいたこともあった。
あのときの私には居場所がなくて、孤独で、彼の言葉が全てでした。
たぶん戻る方が簡単だった。でも私は戻らなかった。
あの時の自分に思うこと
今思えば、何も見えないまま進むことがどれほど怖かったか。
子どもを守りたい、でも守るための行動が、子どもを不安にさせて傷つけてしまってるかもしれない。
心も頭もぐちゃぐちゃだったよね。
でも、今はっきり言える。何も間違ってなかったよ。
私の経験が、私の声が、少しでも誰かに届いたら嬉しいです。
最後まで読んでくれてありがとうございます。
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