子どもを育てるようになってから、私にはたくさんの気づきがありました。

そして今、振り返ってみると、若い頃の私は、理由もよくわからないまま、人との関わりを選んで生きてきたんだと思います。

人を信用しようとして、できなかった理由

最初は、信用しようとしていました。
親とは違うから。
きっと、人との関係はもっと普通に築けるものだと思っていました。

若い頃の私は、友達もいて、どちらかといえば、相談される側でした。
頼ってくる人を放っておけない性格で、人と関わること自体が苦手だとは思ってなかった。

大人になって付き合い方が変わっていく中で、少しずつ気づいてったこともあります。
周りの人たちは、ちゃんと「自分と他人の境界線」を持ってる。

そのとき初めて、人との距離感や考え方が、私と他の人では違うんだってわかりました。

その中で、本当の親ですら、子どもを愛してくれなかったのに、他人が大切にしてくれるなんて、どこかで信じられなくなっていったんだと思います。

人との距離が、いつの間にかわからなくなっていた

だから私は、深く関わらないようになりました。
全部は見せない。
本気にならない。

自分と他人のあいだに、距離を作るようになっていきました。

自分を守るためだったけど、それが大人になればなるほど、人と関わることができなくなっていきました。

今はSNSの時代で、人の本音が見えすぎる分、余計に人との関係が怖くなることもあります。

気を使いすぎたり、人の顔色には敏感な私は、わかりすぎて、疲れて、考えすぎてしまう。

人にどう思われてるいるかが、こんなに怖いのには理由があったとわかっても、やっぱり生きづらい。
もっと普通に生きられたらいいのに、と思うこともあります。

この生きづらさは、今も終わってない

子どもを育てる中で見えたことは、最初だけじゃなかった。
小学生、中学生、高校生、と成長するたびに、今でも気づきがあります。

毒親に育てられた過去は、終わった出来事じゃなくて、形を変えながら、ずっとついてくるものなんだと思います。

人との関係は、今の方が見えてきたものが多い分、正直しんどい。
でもそれは、ずっと抱えてきたあの頃の自分を、少しずつわかってあげられてるからなのかもしれません。

こうして振り返ると、若い頃の選択は「性格」や「弱さ」だけで片付けられるものじゃなかったと思います。

たくさんの気づきや理解があっても、自分の生き方が変えられるわけじゃなかった。
この生きづらさは「気づいたら終わるもの」ではありませんでした。

それでも、振り返ることで、今の自分が少し見えるようになりました。
その過程で、母との関係についても、ようやく言葉にできることもありました。
▶︎毒親との関係を振り返るー私がようやく言葉にできるようになったこと