娘と過ごす時間の中で、ふと母のことを思い出す瞬間があります。
そのたびに、許せない気持ちと一緒に、心の奥が痛くなる。
母と離れた今も、あの頃の痛みは、私の中に残ったままです。

子どもが、私が家を出た年齢になって

子どもが、私が母と離れて暮らすようになった年齢になって、自分の姿が思い浮かぶときがあります。
あの頃の私にとって、あの環境は受け止めきれない現実で、あまりに残酷でした。
どれだけ無理をして大人になろうとしていたのか、子どもの姿があの時の自分に重なって、胸が苦しくなることもありました。

子どもを見ていると、まだまだ幼くて、少しずつ大人になろうとしている途中なんだと感じます。
まだひとりで生きていくには、子どもすぎる。
私と同じ背丈になっても、やっぱり私にはまだ全然「子ども」にしか見えません。

だからこそ、悩んだり、つまずいたりしたときには、いちばんの理解者でありたい。
いつでも味方でいたいと思っています。
子どもが子どもでいられる時間を大切にしてほしい。
私は、いつまでもずっと母親として寄り添っていきたいと思っています。

家族という形に、ずっと憧れていた

子どもが小さいころ、公園や保育園で「今日は友だちがおじいちゃんおばあちゃんが迎えにくるんだって」と話を聞くたびに、胸の奥が痛くなりました。
大きくなってからも、敬老の日や帰省の時期になると、同じような気持ちになります。

自分の人生の環境に、子どもたちを巻き込んでしまったと感じることもあります。
本当なら、出産や誕生日を祖父母も祝ってくれて、成長を一緒に喜んでくれるはずなのに、この子たちはそれを受け取れない。

私のせいで、もらえなかった愛がある。
そう思うと、自分のことよりもずっと苦しくなります。

子どもたちを心から愛してるのが、私だけだという現実が、時々どうしようもなく悲しくなる瞬間があります。
でも、私は母の愛情がどれだけ大きなものか知ってる。
だから、絶対に子どもたちの手を離さない。
周りと違くても、この子たちには「愛されてる」と感じながら生きてほしい。

娘を見て思い出す、幼い頃の私

娘を見ていると、時々、幼いころの自分を重なって見えます。
誰にも抱きしめてもらえなかったあの頃の自分を思い出すと、胸が締め付けられます。

でも同時に、「私はこんな時間を知らなかったんだ」と気づくこともあります。
友だちと笑い合ったり、安心して帰れる家がある。
悩みを抱えても、それを受け止めてくれる人がいる
娘が過ごしているその日常は、私の知らない世界でした。

その光景を今、母親として見守っていることが不思議で、少し切なくなるけど、娘が笑うたびに、その笑顔に救われています。

娘には、私が知らなかった幸せを、たくさん感じてほしい。
私の過去がどうであっても、この子の未来は明るいものであってほしい。
そして私は、その姿をずっと見守っていける母親でありたいと思っています。

受け継がない強さを、選んでいく

私は、母のようにはなりたくない。
ずっとそう思って生きてきました。
でも、気づけば似ている自分がいて、そんな自分を責めたこともあります。

過去の痛みは、簡単には消えてくれない。
きっと、これからも背負いながら生きていくんだと思う。
それでも、子どもたちには同じ痛みを背負わせたくない。

母とは違う生き方を選ぶことは、決して簡単なことではありません。
それは、自分の中の葛藤や苦しみと向き合うことでもあります。
それでも私は、母にもらえなかった愛を、子どもたちに渡していきたい。

私は、同じ道を絶対に歩かない。
連鎖はここで止める。
私は、私の生き方を選んでいく。

この子たちと一緒に、あたたかい家庭を作っていきたい。
完璧じゃなくても、笑い合える時間を守っていきたい。

時間が経っても、母との関係で受けた傷は、形を変えながら今も私の中に残っています。
それを、どう受け止めてきたのか、ようやく言葉にできるようになった今、振り返ってみました。
▶︎毒親との関係を振り返るー私がようやく言葉にできるようになったこと