生活保護を卒業した日、胸の中にあったのは「自由になれた」という喜びと、「これからやっていけるのか」という不安が半分ずつ(関連記事:生活保護から自立するまで)。

自分の収入だけで暮らすようになった私が、どんな現実にぶつかり、その壁をどう乗り越えてきたかを書いています。
少しでも誰かの参考になればと思います。

生活保護を卒業した日のこと

生活保護を抜けるとき、私はまだ収入が安定する前でした。
きちんとした順番ではなかったかもしれない、まだ早かったかもしれない。

でもあの時の自分は、抜け出したい気持ちが大きくて、自分の力で生きていきたいという強い気持ちがありました。
正直、不安もあった。
だけど、ここまでこれた自分にはできる。
そう自分に言い聞かしていた部分もあったと思います。

家計簿と散らかったレシート、母親の手元。
自分の力で生活を支える、緊張と日常のひとコマ

自分の収入で生活していく中での喜びと不安

アルバイトで稼げるお給料はそんなに多くなかったけど、自分の口座に振り込まれるお金を見たとき、やっとここまできたんだって、涙が出るほど嬉しかった。

自分で稼いだお金で堂々と買い物できた。
不思議と、生活保護を受けていた時感じていた孤独感が少しずつなくなっていきました。
誰の目も気にならなくなって、生きやすくなった気がした。
こんなにも、見える世界が変わるのかと思いました。

だけど、不安定な収入で安心感はなく、反対にお金の不安は増えていきました。

子供との生活の変化

仕事の時間も増え、生活の流れが変わって、子どもとの時間も減ったと思います。
でも限られた時間だからこそ、子供との時間が前より大切に感じるようになりました。

自分で稼いだお金で子どもにご飯を食べさせられること、親としての自信に少ずつ繋がっていきました。
子どもたちと笑顔で過ごせる時間も増えて、少しずつ心が軽くなっていったのを今でも覚えています。

新しい生活で直面した現実的な壁とその乗り越え方

支援がなくなると、予想外の出費や金銭的な負担は大きかったです。
子どもが急に病気になった時は、休むたびにお金の心配がつきまといました。

仕事を休めない現実に、どうしようもない焦りで心の余裕をなくすこともありました。
頼れる人が誰もいない中、ひとりで仕事と子育てを両立していく厳しさを、改めて思い知らされます。

土曜日は仕事を入れ、生活費の固定支出を見直しました。
食費を抑えるために安いスーパーに行ったり、安い食材で工夫して料理を作り、外食や無駄遣いも極力ひかえました。
そんなふうに、毎日頑張りながら、苦しい中でも少しずつ乗り越えてきました。

毒親育ちだからこそ願う、子どもの幸せと未来

自分が子どもの頃は、親からの愛情や安心感を十分に受けられなかった。
だからこそ、自分の子どもには同じ思いをさせたくない。
母親の愛情がどれほど大切なものか知っているから、どんな時もそばにいたい。
毎日の小さな会話や、ぎゅっと抱きしめる時間、安心して眠れる環境。
そういう環境を、当たり前じゃなかった自分だからこそ大事にしたい。

これから先、子どもが「お母さんがいてくれてよかった」と思ってもらうことが、私の夢であり、生きる意味になっています。子どもが私の希望です

あの時の私へのメッセージ

まだまだ道は長いけど、一歩ずつ進んでいこうね。
ゆっくりでいい。ここまで来れたことが証明してる。
大丈夫。
最後まで読んでくれてありがとうございます。

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