生活保護を受けるしかなかったあの日から、自分の足で立つまで、いろんな壁を乗り越えてきました(関連記事:シングルマザーとしての再出発)。
子どもを守りながら、一歩ずつ前に進んだ私の経験を残します。

生活保護を受けることに抵抗を感じた理由

支援センターの人に生活保護の話をされた時は、「受けたくないです」そう断りました。
恥ずかしくて、情けなくて、偏見もありました。

私は毒親のもとで育ち、頼れる人は誰もいなかった。
どんなに苦しい状況でも、助けを求めることなく、一人で踏ん張ってきました。

生活保護を受けることは、そんな自分を否定するようで、どうしても受け入れられなかった。
家に帰った方がいいとさえ思っていました。それほど、私の中では抵抗がある支援でした。
でも、あの時の私は受けないと生きていけない状況で、子どもを守るためには、この事実を受け入れるしかなかったのです。

テーブルの上に子どものお絵描きセット、カップ、小さなおもちゃが置かれている様子。
子どもとの暮らしの中にある、小さな忙しさと日常の現実

それでも受けると決めたきっかけ

私には守らなくちゃいけないものがありました。
私のプライドよりも大切なものがある。
子どもを守れるのは私だけ。一番大切なことを忘れていました。

支援センターの人にも「ずっとじゃなくていい、自立するために一時的に助けてもらうために使ってもいい」私が少しでも心軽くなるように、たくさんの言葉をくれました。

この状況では働けず、DVから逃げるために必要で、お金もなく明日の食費すらないという私に、迷ってる時間はありませんでした。

実際に申請に動いたときの気持ちや行動

役所に申請しにいく日はとても足が重かったです。
決めたはずなのに、足が前に進まなくて、それでも子どもを思いながら一歩ずつ前に進むしかなかった。
緊張している私に「ごめんね、必要なことだから聞かせてね」と、職員の人が寄り添ってくれる言葉を言ってくれたことが、少しだけ気持ちを軽くしてくれました。

帰り道、胸の奥がぎゅっと締め付けられるような悲しさと、ホッとした気持ちが同時に押し寄せてきてすごく苦しかった。
それでも子どもを守るために、今だけと思いながら現実を受け入れるしかありませんでした。

生活保護をもらいながら感じていたこと

申請が終わり、生活保護を受けられるようになってからは、お金の面で安心感はありました。
ありがたかったです。でもずっと後ろめたさはありました。
あのときは、社会との距離を感じて、強い孤独の中で生きていました。

生活の中で、特に病院に行く時がいちばん嫌でした。
「子どももいて、あの人生活保護なんだ」って、何も思ってないかもしれないけど、そう思われてるようで、恥ずかしくて、知られたくなくて、周りの目をすごく気にして生活していました。

抜け出そうと決めた時のこと

生活保護を受けた時から、やめることは自分の中でずっと考えていることでした。
でも、施設を出て新しい生活が始まっても、子どもの預け場所がありませんでした。

自分たちの生活が落ち着いてくると、ただ保育園が決まるのを待ってるのが嫌で、何かできることはないかと支援を調べたり、子どもを連れてできる仕事を探したりもしました。
だけど現実はそう簡単じゃなくて、気持ちだけが焦っていました。

生活保護を抜けた時のこと

そんな中、保育園が決まったとき、私の中に小さな光が見えました。
これで働ける、これで自分の足で立てる、自由になれる。そう思いました。
働いたお給料で生活できるようになったときは、自分の力で歩き出せた実感、自由になれた気持ちでいっぱいでした。
でも生活保護をやめるとき、不安な気持ちも正直少しありました。

今は生活保護という制度に感謝しています。
私たち親子が逃げて生きてこられたのも、この支援があったからです。

あのときの私へ

悔しい思いをした時もあったよね。傷つくこともあったよね。
親としてあの選択をできて偉かったと思うよ。だってあれが子供を守ることだったから。

簡単な選択じゃなかったはず。それをできた私は、ずっとちゃんと母親だったよ。
想像もできないと思うけど、今の私は、あれでよかったってそう思えてるからね。
ひとりじゃないよ
最後まで読んでくれてありがとうございます。

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