子どもが、あの頃の私と同じくらいの年齢になって、
初めて見えてきたことがあります。
子どもたちの姿を見ていると、
あの頃の私は、
まだ子どもだったんだと、
何度も思うようになりました。
そのたびに、
幼い頃の私を思い出して、
胸が苦しくなることがあります。
この記事では、
子どもの成長とともに見えてきたこと、
そして、私が子どもたちに願っていることを書いています。
子どもが、あの頃の私の年齢になって
子どもが、
あの頃の私の年齢になって、
自分の姿が思い浮かぶときがあります。
あの頃の私にとって、
あの環境は受け止めきれない現実で、
あまりに残酷でした。
どれだけ無理をして大人になろうとしていたのか、
子どもの姿があの時の自分に重なって、
胸が苦しくなることもありました。
子どもを見ていると、
まだまだ幼くて、
少しずつ大人になろうとしている途中なんだと感じます。
まだひとりで生きていくには、子どもすぎる。
私と同じ背丈になっても、
私にはまだ、全然子どもにしか見えません。
だからこそ、
悩んだり、つまずいたりしたときには、
いちばんの理解者でありたい。
いつでも味方でいたいと思っています。
子どもが子どもでいられる時間を大切にしてほしい。
私は、
いつまでもずっと母親として寄り添っていきたいと思っています。
子どもたちに願うこと
子どもたちが大きくなるにつれて、
周りとの違いを感じることがあります。
本当なら、
祖父母と一緒に成長を喜びあえる時間もあったのかもしれない。
私のせいで、もらえなかった愛がある。
そう思うと、
私の人生に子どもたちを巻き込んでしまったようで、
自分のことよりずっと苦しくなります。
子どもたちを心から愛してるのが、
私だけだという現実が、
時々どうしようもなく悲しくなる瞬間があります。
でも、
私は母の愛情がどれだけ大きなものか知ってる。
だから、絶対に子どもたちの手を離さない。
周りと違くても、この子たちには
「愛されてる」
と感じながら生きてほしいと思っています。
娘を見て思い出す、幼い頃の私
娘を見ていると、
時々、幼いころの自分が重なって見えます。
誰にも抱きしめてもらえなかった
あの頃の自分を思い出すと、
胸が締め付けられます。
でも同時に、
「私はこんな時間を知らなかったんだ」
と気づくこともあります。
友だちと笑い合ったり、
安心して帰れる家がある。
悩みを抱えても、
それを受け止めてくれる人がいる。
娘が過ごしているその日常は、
私の知らない世界でした。
その光景を今、
母親として見守っていることが不思議で、
少し切なくなるけど、
娘が笑うたびに、
その笑顔に救われています。
娘には、私が知らなかった幸せを、
たくさん感じてほしい。
私の過去がどうであっても、
この子の未来は明るいものであってほしい。
そして私は、
その姿をずっと見守っていける母親でありたいと思っています。
私が選びたい未来
私は母とは違う。
そう言い切れるほど、
強い人間じゃない。
間違える日もあります。
それでも、
子どもたちには、
私が知らなかった温かい時間を、
渡していきたい。
その思いだけは、
これからも変わらないと思っています。
子どもたちの成長とともに、
私の中でも少しずつ、
過去と向き合えるようになってきました。
でも、
母と離れたからといって、
心の傷が消えたわけではありませんでした。
あの頃の痛みは、
大人になっても、
母と合わなくなっても、
私の中に残り続けていました。
そのことについては、
次の記事で書いています。
▶︎毒親と離れても消えなかった傷|関係が終わらなかった私の現実
