あのとき、私は追い詰められていました。
家庭内の状況に耐えられず、子どもを抱えて逃げなければならないほど、どうしようもない状態でした。
行く場所もなく、最後の頼みのような気持ちで、私は母に連絡をすることにしました。
母に連絡した日
私は自分の家庭を持ったけど、相手の暴力が続き、子どもを抱えて逃げなければならない状況になりました。
行く場所がなく、本当に助けが必要でした。
母は少しだけ優しく迎えてくれました。
「大丈夫?」と言われたとき、思わずホッとした自分がいました。
もしかしたら今度こそ、母とちゃんと向き合えるかもしれない。
ほんの少しだけ、そんなふうに思ってしまいました。
でも、現実はすぐ崩れました。
「食費や電気代もかかる」とお金を求められ、私の苦しみと自分の過去を比べるように話されました。
「私の方が辛かった」「自分で選んだ相手でしょ」と、私の痛みは、また否定されてしまいました。
日によって機嫌も違い、ため息と嫌味が混じるあの空気。
あの頃と何も変わってなくて、息が詰まりそうでした。
私が気持ちを伝えようとすると、母は黙り込み、悲しそうな顔だけして「そうだよね」「ごめんね」と小さくつぶやく。
何も言わないあの感じは、昔とまったく同じでした。
まるで、母が被害者で、私が責めてるみたいにされる。
どうして私は、母に助けてもらえると思ったんだろう。
少しでも期待した自分が、情けなくてたまらなかった。
ここに来たことを、心の底から後悔しました。
結局、耐えきれずにまた出ていきました。
助けてもらえるどころか、また傷つくだけだった。
今度は、心まで捨てられた気がしました。
母への怒り
大人になって、母の言葉や態度がどう言う意味だったのか、ようやく理解できるようになった頃、胸の奥から怒りが込み上げてきました。
母は、昔のことなんて何一つ覚えていない。
自分のことだけ見ていて、ずっと必死に生きてきた私の気持ちなんて、少しも気づいていなかった。
心のどこかで、ずっと思ってた。
「じゃあ産むなよ」って。
親になれないなら、女でいたかったなら、産まないでほしかった。 親でいられないなら
孫を見ても「かわいくない」と言い、子どもが少しわがままを言っただけで「そう育てたんでしょ」と嫌味を言う母。
その言葉が何より胸に刺さりました。
自分の孫なのに。
私の子どもにまでひどいことを言う母を、もう許せませんでした。
それでも完全に消えない想い
母とは、それ以来、一切連絡をとっていません。
でも、ふとしたときに、母の顔や声を思い出すこともあります。
心の奥には、まだ小さな自分が残ってる。
抱きしめてほしかった。
愛されたいと思っていた。
もう諦めたように見せても、本当はまだどこかで求めてしまう自分がいる。
だからこそ、私は今も母を許せず、恨み続けているのかもしれません。
会わなくなっても、親子の関係は消えない。
距離を置いても、心のどこかに母がいる。
それが、いちばん苦しいことなのかもしれない。
同じように「母と関係」に苦しむ人へ
親との関係って、簡単に諦められるものじゃありません。
どれだけ傷ついても、どこかで「わかり合いたい」「愛されたかった」と思ってしまうもの。
どれだけ時間が経っても、心の奥には子どもの自分が残る。
知れば知るほど、許せなくて、恨む気持ちだけが大きくなるときもある。
それでも、そう思いながら生きててもいいと思います。
子どもの頃は、自分の感情なんてなかったから。
今は、どんな感情でも、自分の気持ちを否定しなくていい。
私の思いが、少しでも誰かの心に寄り添えたら嬉しいです。
最後まで読んでくれてありがとうございます。