施設を出た日、私は子供たちの手を握りしめ、新しい生活へと踏み出しました(関連記事:施設での生活)。
自由になったはずなのに、心は不安でいっぱいでした。
「ひとりでやっていけるのかな」「この選択は間違ってなかったのか」そんな思いが頭をよぎりながらも、前に進むしかなかった。

自分の人生が動き出した日でした。

新しい住まいでの生活

部屋の中に入るとまだ何もない部屋。
だけど小さくても私たちだけの居場所でした。
このとき自由になれた喜びもあったけど、現実が見えた瞬間でもありました。
先の見えない不安が一気に押し寄せてきました。

施設を早く出たい気持ちもあったけど、これから自分ひとりで、子どもたちを守らなきゃいけないと思うと、孤独と責任でいっぱいでした。
このときの私は、慌ただしく変わっていく環境の中で、子どもたちと向き合うことで精一杯でした。

部屋の角、ドアを開けた先に複数の人形と椅子が置かれている様子。
部屋の片隅の人形と椅子が、子どもとの日常を映し出す

シングルマザーとして直面した困難や壁

施設を出てからも生活保護を受けながらの生活でした。
最初は抵抗があり、情けなくて恥ずかしくて、罪悪感のような気持ちもあったのを覚えています。

でも、あのときの自分に必要な支援であること、頭ではわかっていました。
だけど心が追いつかなくて、今の自分が何もできないことに苛立ちさえありました。

少しでも早く働きたいと思っていたけど、子どもを預ける場所がなかった。
預け先が決まったら、今度こそ本当の意味で自分の力で生きていくんだーーそう自分に言い聞かせるしかありませんでした。

あの時は、周囲に知られることへの不安も、とても大きかったです。
生活保護を受けていることが余計、私に孤独を感じさせました。
心が折れそうな日もありました。
それでも、私は子どもたちのために諦めるわけにはいかなった。

支えてくれた人や自分で見つけた支援や助け

毎日が辛かったわけではなかったけど、知り合いもいない土地での生活、頼れる人もいなくて、誰とも話さない日が続くと、孤独で寂しくて、心が壊れてしまいそうな日もありました。

どうしようもできない感情で、どこにも吐き出すことのできない思い。
あの時は逃げることに必死で、でも逃げたから終わりじゃなくて、いろんな現実がずっと私を苦しめていました。

そんな毎日が続いてたある日、子どもつたいで近くの子ども食堂の存在を知りました。
なかなか行く気になれなかった。誰かと繋がりたかったけど、誰かと関わることが怖かったから。
最初は誰にも心開けなくて、ただお金の面でも助かったし、何より子どもが楽しそうだったので、その後も行くようになりました。

段々とそこにいる人達と話すようになって、気づいたら私も行くのが楽しみになっていました。
私たち親子のことを気にかけてくれる、優しい人たちに出会えたことが、少しずつ私の気持ちも生活も変えてくれました。

辛い生活の中で希望を感じた瞬間

私が何度、もう無理だと思っても頑張り続けてこれたのは、子どもの存在があったからです。
ひとりじゃどうなっていたかわかりません。

あの日、保育園の入園が決まる電話がかかってきた。
長くて暗いトンネルに光が見えた気がしました。

私はすぐに仕事を探し働きました。そこからは必死に働いて、生活保護を抜けました。
ひとつずつ、ちゃんと前に進んでた。
仕事をして支援から離れることは、今までと違う辛さや不安、大変なこともたくさんありました。

でもあの時は、本当に本当に嬉しかった。
やっと終わったんだって思いました。
私にとって、ゴールでもありスタートでもありました。

伝えたいこと

トンネルはずっとは続かない。
あの時は、出口なんて見えなかった。
でも、少しずつでも進んでいれば、ちゃんと前に進んでる。

私はあの時、いろんなことを急ぎすぎていたと思います。
先の見えない暗闇にいるみたいで、不安で必死でした。
壊れそうなギリギリにいるのに、早く抜け出したくて、少し頑張りすぎていたと思います。

昔の自分に、誰に何を言われても、どう思われても、自分のペースでいいんだよって言ってあげたい。
私の経験や思いが誰かの勇気にーー。
最後まで読んでくれてありがとうございます。

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