私の幼少期の記憶は、思い出そうとしても空白ばかりです。
ただ、転校をくり返し、いじめや家庭での孤独を経験したことだけは、心に深く残っています。
母に振り回されながらも、必死に生きていた自分がいました。

記憶がほとんどない幼少期

小学校に入った頃や、その前の記憶は、ほとんどありません。
ただ物心ついたときには、母はあまり家にいませんでした。

入学してすぐ転校したことは、今でも覚えています。
何があったのか、どう思っていたのかははっきりしないけれど、胸の奥に残る不安や、友だちと離れる寂しさは、うっすら心の中に残っています。

転校したくなくても、ただついていくしかなかった子どもの自分。
あのときの自分を思うと、今でも胸が締めつけられます。

あの頃の私は母に振り回され、誰にも守られない子ども時代を過ごしていたんだと、改めて感じます。

夕日が差し込む教室。黒板と棚、机と椅子が並んでいる。

転校を繰り返した経験

その後も、転校を繰り返しました。
最後に落ち着いた学校での記憶は少しだけしっかりしています。

いじめを経験し、家でも私の居場所はありませんでした。
母にわかってほしかったけれど、母は自分の世界で忙しく、私の気持ちは届かなかった。
ただ、必死に耐えるしかありませんでした。

転校は、私の人生に大きな影響を与えたことは間違いありません。
せめて、学校での居場所だけは、奪わないでほしかった。

母との関係

母は水商売をしていて、朝に帰ってくることが多く、私が学校に行く時間には寝ていました。
私が帰る頃には、仕事に行く準備をしていて、家の中は静かで、寂しい気持ちになっていたのを覚えています。
それでも、いつもキレイで、私はそんな母を自慢に思い、大好きでした。

母に喜んでもらいたくて、振り向いてもらいたくて、褒めてもらいたくて。
寝ている間に部屋を片付けたり、できることを一生懸命やっていました。
今思えば、あの頃の私は、母のためだけに生きていたんだと思う。

母のため息や、ちょっとした不機嫌が、子ども心にとても重く、気を使って過ごしていたと思います。
今は、あのため息が大嫌いだったと思えるけれど、あの頃は母の顔色をうかがって必死に過ごしていました。

母の気分に振り回され、顔色をうかがって過ごす癖は、今も私の中に染み付いています。

母の男と家庭の変化

ある日、母の男が家に来たことで、なんとか保っていた親子関係は、少しずつ崩れていきました。

たまに私のために作ってくれていた料理は、全部その男のための料理に変わり、私が寂しかった時間や、一緒に過ごしたかった夜の時間を、簡単に奪われてしまいました。
少しずつ、母の態度も変わっていきました。

家にいきなりやってきた男と、布団の中で何かをしていたり、お風呂に一緒に入っている姿を、何度も見ました。
見なければよかったと思うほど、気持ち悪くて、苦しかった。
あとになってその意味を理解したとき、許せない気持ちでいっぱいでした。
子どもの私の前で、絶対に見せてはいけないことだったと、今でも思っています。

私の存在は、まるでなかったみたいでした。
母の目に私の姿はうつっていないこと、幼いながらもはっきりと気づいていました。
母が笑っていれば、少しでも私を見てくれれば、それでよかったと思っていました。

気づけば私は、二人にとって都合のいい時だけ呼び出され、利用されるような存在になっていました。
あの頃、健気にただ母を愛していた幼い私を傷つけた母には、今も憎しみしかありません。

小学校時代を振り返って

振り返ると、転校や家庭の状況に振り回されて、私の居場所はどこにもなかったように思います。
学校ではいじめにあい、家では自分の存在を無視され、孤独の中で過ごしていました。

誰にも気づかれないまま、苦しさを一人で抱えていました。
自分の感情を言葉にすることも、理解することもできないほど、幼い私は、ただ必死に生きていたんだと思います。

今の私の中には、幼い私の感情がたくさん詰まっていることを思うと、今も胸が苦しくなります。
消えない痛みを抱えながら、それでも私は今も一生懸命生きています。
最後まで読んでくれてありがとうございます。

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