DVから逃げてきて、心も体もボロボロで「もう無理かもしれない」と思う瞬間が何度もありました。
逃げ出したくても、いく場所はどこにもない、自分の意思で決められない新しい環境や生活に、何度も心折れそうでした。
そんな中そばにいてくれたのは、子どもたちだけでした。
人によって支えになるものは違うと思いますが、私にとっては子どもたちの存在が前を向く力になりました。
子どもの存在に救われた瞬間
施設に来て少したった頃、子どもの目に見える成長を見て、胸がいっぱいになりました。関連記事:施設での生活
こんな状況の中でも、子どもは毎日少しずつ成長してる。
私の元へ笑顔で向かう姿を見て「私が守らなきゃ」「この子たちのために生きていかなきゃ」と強く思いました。
それでも、心折れそうな日があっては、子どもたちの笑顔や、「ママだいすき」の言葉に何度も立ち上がる強さをもらいました。

子どもと一緒に、少しずつ歩き出せた私
新しい場所に来たときは、知らない景色に不安しかなく、外に出るのも嫌でした。
でも、子どもたちと一緒に「探検だ」と言って歩くことで、少しずつ外に出ることもできました。
知らない場所を歩くたび、逃げてきた現実を思い出して胸が苦しくなったけど、子どもたちと一緒に歩くことで、新しい景色として楽しむことができました。
そんなふうに子どもたちに支えられながら、少しずつ、ここで私は「生きて行くんだ」と思えるようになっていきました。
自分の中で生まれた変化
逃げてすぐの頃は、本当に苦しくて、細かい記憶はあまり残っていません。
ただ生きていることだけで精一杯でした。
大きな変化はなかったけど、それでもよかったんだと思います。
あのときの自分を責める必要はなかった。
逃げてきたことだけで、もう十分だったから。
悩みながら、もうやめたいと思っても、気づかないくらい小さな変化はきっと自分の中にあったはず。それが必ず未来に続いてると思っています。
無理しなくていい。少しずつでも大丈夫だと、今の私は思えてる。
だから、今読んでくれているあなたも、きっと少しずつそう思える日が来るはずです。
伝えたいメッセージ
私にとって子どもの存在は、暗いトンネルの中で小さくても確かな光でした。
どんなにしんどい日でも、「この子たちのために」という気持ちが私を強くしてくれました。
支えになるものは人によって違います。
子どもである人もいれば、友人や家族、あるいは自分の小さな楽しみや夢かもしれません。
どんな形であっても「自分の力になるもの」が必ずあると思います。
孤独を感じている人も、自分にとっての小さな支えを信じて、大切にしてほしい。それが、次の一歩につながるはずです。
最後まで読んでくれてありがとうございます。