※この記事には、家庭内での暴力や自傷行為など、心が苦しくなる可能性のある内容が書かれています。
読むときは、無理せず、自分の気持ちを大切にしてください。

私が子ども時代に感じた孤独や不安、母との関係などについて書いています。
幼少期の出来事が、今の私にどう影響していたのかを振り返ります。

帰れなかった家

中学生になって、私はどんどん荒れていきました。
家に帰らない日もあり、帰っても玄関のチェーンを閉められて中に入れないことも。
母を試していた自分もいたと思います。

家には母の男が出入りしていて、引っ越した先は完全に母と男の世界になりました。
この頃、母は夜の仕事を辞めていましたが、朝も夜もその男との時間に変わっただけでした。
初めて母に感情をぶつけたとき、包丁を向けられたことは一生忘れられない。

二人の関係は仲がいい時もあれば、激しい喧嘩になることも多く、家の中は荒れ放題。
テレビがひっくり返され、部屋がぐちゃぐちゃになっている光景も日常茶飯事でした。

一番忘れられないのは、母の男が部屋に灯油をまき、私にもかけてきたこと。
母がライターを持っていて、あのときは本当に怖かった。
あの恐怖と匂いは、今でも思い出すたび、胸がざわつきます。

夕方の住宅街。

それでも、母に愛されたかった

それでも、私は母に愛されたかった。
母は子どもに話すようなことじゃない話を私にしていました。

物心ついたときから、母の悩みや苦しみを聞かされるのが当たり前で、当時の私はそれを辛いと感じていませんでした。
むしろ「頼られている」と思い、母を支えようとしていました。

でも今思えば、母の苦しさを私に押しつけていただけだった。
私はただの吐口だったんだと思います。

母は、自分の気まぐれで私に愛情を向ける人でした。
子どもの私は、それを「愛されてる」と思い込んでいました。
その中途半端な優しさに、ずっとしばられていたんだと思います。
母を信じる気持ちを手放せず、ずっと苦しかった。

学校と家の間で

学校では友達と過ごす日常もありました。
でも、家には普通の日常なんてなくて、学校から帰ると母が包丁を手に倒れていたこともありました。

あのときの私は、怖いよりも「必要とされている」と思っていました。
今振り返ると、それがどれだけ歪んだ愛のかたちだったか分かります。
けれど、当時の私はそれしか知らなかった。

嘘くさい言動に薄々気づいていく自分もいました。
母の弱さや寂しさを理解することは、どこかで苦しいと思っていても、変な責任感もあって、ただ寄り添うしかありませんでした。

崩れていく心

母に気づいてほしくて、悪さをしたり、家を飛び出したりもしました。
それでも母が振り向くことはなかった。

私は一度だけ、死のうと思った夜があります。
「死んだら、そのときだけは、私のことを見てくれるかもしれない」そう思って、母に電話をしました。
でも、返ってきたのは冷たい言葉でした。

死にたいわけじゃなかった。
母にただ愛されたかった。
その気持ちは、今でも心のどこかに残っています。

それでもー生きている

子どもの頃、私は母の愛情を十分に受け取れず、孤独の中で必死に生きてきました。
当たり前に受け取れる愛情を求めていた自分を思い返すと、今でも苦しくなります。

うまく自分の人生を生きられないこともありました。
でも今は、子どもの存在に支えられて生きています。

過去は消えない。
それでも、今の私は、あの頃の自分がくれた力で生きています。
最後まで読んでくれてありがとうございます。

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