この記事では、心に残っている「大切にされた記憶」について書いています。
高校の頃、孤独を抱えていた私にとって、当時の彼の存在は初めて「安心できる場所」でした。
彼の優しさに救われ、愛されることを知った一方で、その関係を続けていくことができなかった自分もいました。
支えられた日々と、別れのあとに感じた孤独を、今振り返ってつづります。
大切にされた日々
高校生の頃、アルバイト先で彼に出会いました。
年上で、初めは特に興味もなかったけど、とても優しい人で、話しているとなんだか安心できる自分がいました。
押し付ける優しさじゃなくて、包み込むように接してくれる人で、その温かさがすごく心地よかったのを覚えています。
当時の私にとって、彼は特別な存在でした。
「私の気持ちを受け止めてくれる人がいるんだ」と思えたのは、初めてのことでした。
彼と一緒にいる時間は、ひとりじゃないって思える瞬間でした。

心を許せた初めての存在
これまで誰にも話せなかった気持ちを、彼になら話してもいいのかもしれないーーそう思う自分がいました。
でも、最初は自分の気持ちを話すのが怖くて、うまく言葉にできませんでした。
不安定で、ひとりぼっちの私に、彼はいつもそっと寄り添ってくれました。
否定することなく、ただ話を聞いてくれるだけで、私は少しずつ心を開くことができました。
彼の家に遊びに行くと、料理を作ってくれたこともありました。
私の好きなものをたくさん作ってくれて、一緒にコンビニに行って、好きなお菓子をたくさん買ってくれたり、帰りは必ず送ってくれました。
私だけに向けてくれる優しさが、本当に嬉しかった。
ある夜、泣いてしまったことがあって、もう電車も終わる時間だったのに、彼はタクシーで会いに来てくれました。
その姿を見たとき、胸の奥がいっぱいで、言葉が出ませんでした。
悩みも、わがままも、全部受け止めてくれる彼は、私にとって大切な存在でした。
今思えば、あれが「愛される」ということだったんだと思います。
見返りを求めず、ただ優しさと安心をくれる人でした。
別れとひとりぼっちの時間
私は、だんだんその優しさが苦しく感じるようになりました。
彼の気持ちに応えられる自分がいなかった。
彼が私を思ってくれるのと同じように、私は彼を好きになれなかった。
今思えば、彼との関係は、愛され方も知らず、愛し方もわからなかった私に、受け止めきれなかったんだと思います。
家での息苦しさと彼の優しさの間で、まだ子どもだった私はついていけなくなったのかもしれません。
それでも、彼を失いたくない自分もいました。
寂しかった。
またひとりぼっちになった現実についていけなかった。
初めて心を打ち明けられ、受け入れてくれた人がいなくなるのは、とても辛かった。
でも、中途半端なまま彼を引き止めてしまうのは、きっと正しくないと思いました。
彼と別れたあとの日々は、空っぽでした。
元の生活に戻ると、孤独が前よりも大きく感じられました。
誰かに大切にされる経験をしても、育った環境の影響は深く残っていて、恋愛にまで影響していました。
それでも、あの時間は、あのときの私を救ってくれたと思います。
最後まで読んでくれてありがとうございます。
関連記事
▶︎家を出て、生きるしかなかったあの頃