高校を辞めて、家を出る頃の私の話です。
母の態度や家庭の状況のせいで、私は自分の居場所を失っていました。
当時の気持ちや、外の世界で生きていくことへの不安を振り返ります。

高校生活のはじまりと葛藤

中学までの経験を引きずりながら、高校生活が始まりました。
この頃の私は、大人を誰一人と信用できなくなってた。
でも、友だちには恵まれていたと思います。
それでも、自分の悩みを誰かに打ち明けることは、なかなかできませんでした。

学校は、家のことを忘れられる唯一の時間でした。
それでも、家のことや母のことが頭から離れることはなく、帰るのが嫌で、この頃は帰らないことも当たり前になっていました。
その生活は学校にも影響し、行かないことも増えていきました。

夕陽が差し込む教室。机と椅子が並んでいる。

高校を辞める決断

母の男に「なんで俺がお前のために金出さなきゃいけないんだ」と言われたことが、高校を辞めるきっかけになりました。

普段、母と喧嘩すると私を巻き込んだり、「母をどれだけ愛しているか」と話してくることもありました。
「水商売でしたくもないことをお前のためにしてきた」とも言われました。
結局、あの男と母親にとって、私は自分たちの気持ちをぶつけるサンドバッグだったんだと思います。

あの男が、本当に憎かった。
勝手に家にやってきたくせに、偉そうなことばかり言ってきて。
そんな人間のお金で行く学校なんか行きたくなかった。
だったら、自分で選んで辞めた方がいい。
そう思って、私は高校を辞めることにしました。

母とあの男の関係や、家の中の不安定さは、すべて私に重くのしかかっていました。
高校を辞めるという決断は、自分のための行動であると同時に、長いあいだ抱えてきた苦しさからの逃げでもありました。

ひとりで抱えた痛み

高校を辞めるきっかけになった、あの男の言葉を、母は知らなかった。
それを話す気にもならなかったし、話したところで、きっと母は聞いてくれなかったと思います。

母は昔から、男関係にはだらしなかった。
男に家庭があることを最初から知っていながら、それでも関係を続けていました。
そして、その話を、子どもの私に平気でしてきました。

母はきっと、不安や寂しさを私にぶつけることで、自分を保っていたんだと思います。
でも、私は母の代わりにその痛みを受け止められるほど、強くなかった。

家では、だんだん喧嘩が激しくなっていました。
でも、気持ち悪いほどベタベタしている日もあって。
私は、不安定な二人の感情を受け止めるための存在みたいになっていました。

母を守りたかった気持ちと、母を恨む気持ちが混ざって、自分でもどうしていいかわからなかった。
あの頃の私は、母の代わりに、ひとりで壊れていったんだと思う。

家を出ることになった私

高校を辞めた私は、家を出ました。
自分で決めたというよりは、母の態度や環境がそうさせたのだと思います。
遠回しに出ていってほしいと言われたこと、今も忘れられません。
あの家に、私の居場所はもうずっとありませんでした。

家を出るとき、母は新しい命を宿していました。
同じ母の子どもなのに、私は守られなかった。
涙が止まりませんでした。
捨てられたんだと、本気で思いました。

家を出る私に、母は「ごめんね」と言いました。
でも、最後まで表向きの言葉で、私の心を縛り付けてきました。
まるで悲劇のヒロインのようでした。

母は外ではいつもいい人で、可哀想で、頑張ってる人だった。
最後も自分が可哀想な人みたいな空気で、私を捨てた。

自分しか見えてない母に、何を言っても届かないと、もうずっとわかっていました。
それから私は、自分の足で生きていくしかありませんでした。
最後まで読んでくれてありがとうございます。

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